山元大樹(やまもとだいき)鍼灸院ひなた 清澄白河院・鍼灸師

兄が他界した数時間後に届いた「鍼灸学校の合格通知」
鍼灸師が自分の道なんだと強く感じた。

1987年2月生 東京都墨田区出身 2009年はり師・きゅう師免許取得

2011年 厚生労働大臣認定 鍼灸養成校教員資格取得

東京都内にて自費専門鍼灸院にて延べ8万人 20万以上の症例に携わる

同鍼灸院にてマネジャーを務め、臨床の傍ら組織開発に従事する

2020年 独立 都内鍼灸専門学校に非常勤講師担当 

2022年 鍼灸院ひなた 開業

取得資格)鍼灸師 鍼灸教員免許

施術実績)不妊、自律神経失調症、免疫疾患などの難病など専門的に施術を行う

▼ 生立ち

私の出身は東京都杉並区ですが、すぐに現在の実家である下町墨田区に引っ越し、そこで育ちました。幼少時代は、やんちゃだったみたいで、兄弟や友達との喧嘩が絶えなかったそうです。高校の頃は授業をよくサボり、遊んでばかりいましたが、そんな私を見離しもせず、常に関わってくださったのが恩人である、剣道部の顧問の先生でした。(剣道は5歳のころからやっています。)

顧問の先生がいつも私に仰ってくれていた言葉が2つあります。それは「逃げるな!!」という言葉、そして「仲間を大切にこれからも」という言葉でした。辛くて、辛くて血を吐いたり、過換気になるほど剣道をし、正直逃げ出したくなることばかりでした。でも共に戦う仲間たちがいたこと、剣道を強くなりたいと確固たる想いがあったからこそ、立ち向かっていけたと今でも思います。そして逃げずに3年間部活をやり通したからこそ、本当の意味での剣道の楽しさを知ることができました。最後は副部長を務め墨東6区という地区で個人優勝したこと、都の大会で団体優勝したことは私の誇りです。今でも剣道を続け、現在五段の資格を取得しております。思い返してみると、「逃げるな」という言葉は剣道だけではなく、人生のことまでも言ってくれていたのだなと深々と感謝の念で頭が下がります。自分に鞭を打つのではなく本当になりたい自分に対してチャレンジできるようになりました。

▼ この仕事を目指したキッカケ

高校を卒業したその年、私にとって転機となる出来事がありました。それは兄の他界です。2つ違いの兄は中学3年生のころ、白血病という大病に侵されました。その約5年後、病院で電子音がなり響く中、兄は他界していきました。最後の最後まで喧嘩していた私は後悔ばかりで、涙が止まりませんでした。そんな兄が小さいころから、ずっとずっと、闘病中も語っていた夢が鍼灸師という職業でした。立つことさえままならない日ばかりでした。でもどんな時もその夢を追いかけ続け、夜間定時制の高校を4年間、留年せず通い通した姿は今でも尊敬しております。棺の中で、本当は着て働きたかった白衣の兄の姿は一生、目から離れることはないと思います。意思を継ぐ覚悟はすぐ固まりました。

▼ 鍼灸の道へ

実際に鍼灸の専門学校で勉強をし始め、強く感じたことがあります。それは「勉強することは面白いこと」「知識、技術は人のために」「鍼灸の可能性」です。そんな思いから、もっと深く鍼を勉強したいと思い、教員養成課程に進みました。実際に鍼灸学生に授業をしたり、鍼の本場、中国への研修へも行きました。その後、鍼灸の師匠に出会い丸々9年間、修行させて頂き、延べ90万人以上の実績を誇る技術、知識、心構え、経験を全て惜しむことなく学ばせて頂きました。自分にとって自分の腕は宝物であり、目に見えない財産でもあります。だからこそ、この学んできた技術、知識、技術を次の世代へ、そしてこれから出会う皆さんの人生に寄与していくことを責任と考えております。鍼灸は素晴らしい医療です。病を予防して1人ひとりが心身両面、健康に過ごす未来を迎えに行きたいと思います。皆さんの大切な方々もぜひご紹介ください。